鰹節は古代から伝わる日本の伝統食で、保存食や縁起物として親しまれています。


かつお節はカツオを原料とする日本独自の加工食品で、その起源は明確ではないものの、古代から保存食として用いられてきた記録が『大宝律令』や『延喜式』に見られます。鎌倉・室町時代には縁起物として重宝され、江戸時代中期以降には現在に近い製法が確立されました。1674年に紀州熊野浦の漁師が開発した燻乾法が主流とされる一方で、それ以前に薩摩で製造が始まっていたという説もあり、発祥には諸説あります。
かつお節の起源
かつお節は、カツオを原料とした日本特有の水産加工品でありますが、その起源については種々の説があって明らかではありません。カツオは春から秋にかけて黒潮に乗って日本近海を北上する回遊魚であり、関東・奥羽地方で発見される貝塚の中にカツオの骨が数多く見られることから、古くから生食されていたことがうかがえます。
一方「大宝律令(701年)」や、「延喜式(905年)」のなかには貢進物として「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎火」の名があり、素干しあるいは煮熟加工した保存食として利用されていました。
鎌倉、室町時代
カツオは武士の間でも賞味されるようになり、戦国時代になると、「勝男武士」と書いて「かつおぶし」と読めることから縁起物として重用され、また兵食にも用いられたということです。
江戸時代
入ってかつお漁業が太平洋沿岸で盛んになり、江戸中期から後期にかけて本格的なかつお節製造の段階に入りました。薩摩では1518年七島臥蛇で献上物として用いられていますが、現在のような燻乾品であったかどうかはわかりません。
かつお節の製法が確立された時代
現在のかつお節の製法は、1674年に紀州熊野浦の漁師・甚太郎が「ばい乾法」で始めたのが起源とされ、1707年に森弥兵衛に伝わり、枕崎や坊津で本格的な製造が始まったとされています。
ただし一説では、紀州より早い1504年頃に七島で「かつお節」と呼ばれる製品が作られ、これが内地に伝わったともされ、甚太郎は第二の創始者とする説もあります。
参考文献:昭和34年10月枕崎かつお節製造業産地診断報告書(鹿児島県商工課),枕崎市史
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